桶川飛行学校ものがたり 其の弐 [埼玉]
11日に行った、旧陸軍桶川飛行学校の話の続きです。
ボランティアの方の説明を聞くと、
この飛行学校の建物には戦後、壊されずに住宅として使われていたというのです。
それも平成19年まで住んでいたそうです。
確か、最後には2軒住んでいたとかって言ってました。
平成19年って、今から7、8年前です。
終戦後、引揚者や戦火で家を焼かれた人の住まいにしたとの
ことですが、それが数年前まで続いていたとは驚きです。
正面の建物の奥にも建物があり、その1部屋をのぞくことができました。
火鉢やカレンダーがあります。
最近まで火鉢での生活をしていたとは思えませんが
確かに人が住んでいたことがわかります。
そして、その入り口にはNHKの受信契約のシールや
よくわからないシール(桶川市の水道?)なども貼ってありました。
確か、平成19年まで住んでいたのは正面の長い建物だったと、
いうような話をしてましたので、上の写真の住居はもっと前から
使ってなかったのかもしれません。
そしてもう一つ驚いたことは、この建物はメートル法で
作られたということです。
日本では今でも、一間とか、一坪とか普通に使っているのに、
昭和初期にメートル法の建物が作られたということです。
陸軍でも飛行機の部隊はフランスの技術を導入したため、
メートル法が採用された、ということでした。
そういえば、坂の上の雲に出てくる秋山好古もフランス仕込みでしたね。
フランスの技術といえば、富岡製糸場も明治初期にフランスから
技術屋さんをよんで作られたことも思い出します。
よく見ると、確かにこの建物の扉やガラスの幅は日本の寸法ではない。
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