高輪ゲートウェイ駅 [駅]
先週だったか、用事で久しぶりに品川駅に行きました。
ついでに、まだ降りたことのなかった「高輪ゲートウェイ駅」で途中下車。
まだ新しい駅の出入り口です。
降りると、そこは工事真っ最中。
駅の中には無人コンビニと思しき店。
変えないとか、顔写真を撮られるとか、恥ずかしい
思いをするかもしれないので、ここでの買い物はパス。
そして品川駅へ。
今では港南口がメインになったが、昔はレトロな商店街でした。
高輪口は、再開発だとかで、
旧パシフィックホテルは取り壊しが始まっていました。
パシフィックホテルは泊まったことはないが、何回か行きました。
そして昔行ったことがある、高輪口降りてすぐ左側のビルも
取り壊されて、もう何もない。
何て名前のビルだったっけ?
ここには昭和レトロの雰囲気がある飲み屋があったなあ。
時代とともに移りゆく高輪と品川の駅前でした。
宮原駅近くを通ったら [駅]
今日は車の点検日で、車を置いての帰り道。
原市駅からニューシャトルに乗車。
原市、といえばお笑いハライチの出身地。
”ハライチ”は知ってるけど、みんな原市がどこにあるかは知らない。
東宮原駅で降りると、桜並木。
少し満開を過ぎた感じです。
そして、17号にぶつかると旧しまむら本社。
自動車部品関連のMARELLI本社が入るとの報道があったところ。
すでにカンバンが出ています。
この会社は、関東精機という名前で大宮にあった頃と、
カルソニックカンセイという名前に変わってから佐野には
何回も仕事で行きました。
時の流れを感じます。
クルマ業界は、脱エンジン、環境、EV化などによって
勢力図も大きく変わるのでしょう。
昔はこの会社の資材の担当は大きな顔をしてたなあ。
巨大な負債を抱えても、過去の栄光に胡坐をかいていた、
のかもしれないが、いまはどの業界も安穏をしてはいられない。
親会社のようなNISSANは救済しない、とかの報道。
”ここに極マレリ”、なんて駄洒落を言ってる場合ではありません。
レコード屋、本屋さん、ツタヤなどのレンタルショップ、
ハンコ屋さん、街の電気屋さん、八百屋さん、肉屋さん、
呉服屋さんなど、撤退や縮小された業界はきりがない。
最近は、デパートやスーパーにも広がっています。
というわけで、宮原駅近くを通ったら、散りゆく桜と
一緒で、世の無常を感じずにはいられませんでした。
国鉄「日中線」 [駅]
今朝も起きてNHKを見てたら、毎週日曜朝にやっている
「10分で巡る にっぽんの廃線」の、東北篇。
これは前にも見ましたが、福島県の国鉄「日中線」が出ていました。
私も乗ったことはありませんが、朝1本夕方2本の3往復だけの線。
駅員は、昼は草むしりと窓ふきをしてる、と。
日中に走らない「日中線」、だとか。
前に買った、1973年の時刻表を見ると、確かに3本。
この時刻表に、全列車=として変な、マーク。
これは何だろうと思い、時刻表の最初のページを見たら説明がありました。
蒸気機関車で引く列車、の蒸気機関車のマークかい。
そして、今日のNHKの「10分で巡る にっぽんの廃線」で
最後まで蒸気機関車が走っていた区間だと、言っていました。
蒸気機関車が一時なくなってから観光目的の運行を除いた
最後の定期列車ではないか?
1984年に廃止になったようですが、その前に行きたかった。
日中線の上には、国鉄会津線の時刻表があります。
当時は福島や仙台からのディーゼル急行が走っていたようです。
今は、野岩鉄道と東武鉄道につながっています。
昔の鉄道路線図 [駅]
「歴史への招待」の本を処分する前に見ていたら、
「超特急つばめ国鉄を救う」というのがありました。
それに、明治39年(1906年)の鉄道路線図が載っていました。
当時の常磐線には、中村駅(現相馬駅)が明治30年(1897年)に
岩沼ー中村間が開業したようです。
当時は日本鉄道という私鉄の線のようで、その後国鉄になった、と。
この「超特急つばめ国鉄を救う」の話には、
1922年当時の鉄道路線計画のようなものが載っていました。
相馬(当時の中村駅)から福島に向かう計画線路もあり、
千葉県や北海道にもたくさんの(予定)線路が見えます。
当時の殖産興業政策によって計画された数々の線路。
北海道にはたくさん計画され、作られたが国鉄時代から
廃止の波にあがらえず、たくさんなくなったようです。
ちなみに、相馬駅の隣の日立木駅は1922年(大正11年)開業
とどこかに書いてありました。ほぼ100年前にできて
無人駅になって久しいが、まだ電車は走っています。
NHKアーカイブスには、「にっぽんの廃線」という動画があります。
見ると懐かしい、というかほとんど自分が行ったことはない
(生まれてない時のも)動画がいっぱいあって
蒸気機関車や古い駅や当時の人々の姿があり、郷愁を感じます。
インターネットで、「にっぽんの廃線」で検索するとすぐ出てきます。
このNHKアーカイブスには、戦時中の動画などもあり、
昔の様子が記録されています。
西寒川駅 [駅]
今朝の朝日新聞 別刷beに連載の「歴史のダイヤグラム」
JR相模線に西寒川駅があった、という話。
私は行ったことはありませんが、
終着駅には何となく哀愁を感じます。
ホントに盲腸のように、一駅だけの線路です。
こんな線路があったなんて。
首都圏にも関西圏にも、盲腸のような線路が廃止に
なったり、まだ残っているとか、時々報道されます。
1973年の国鉄時代の相模線の時刻表がこれ。
確かに一日4往復だったことがわかります。
そして現在の相模線の時刻表は、
電車の数もこんなに増えたのが、
JRになって時代が変わったことを感じさせます。
上野駅 公園改札 [駅]
先週の通勤でいつも通っている上野駅の通路で異変を感じました。
しばらく閉まっていた公園改札がリニューアルしてオープンしていました。
朝だったので改札を出るヒマもなかったのですが、
JR東日本によれば、改札を出たところは車が通過しないで、
それぞれがUターン方式になったようです。
改札の写真をみると、確かに改札を出た歩行者が車に邪魔されず
そのまま上野公園に入っていけるようになったようにみえます。
歩行者にとっては良くなりましたが、現在は新型コロナの影響で
ちょっとさみしい上野公園になっています。
終着駅 [駅]
津軽鉄道のストーブ列車には、津軽鉄道支援の気持ちもこめて
五所川原から終点の津軽中里駅まで乗りました。
ストーブ料金400円も追加して、片道1250円
往復で2500円、二人なのでその2倍、確かに高かった。
着いた津軽中里駅に降り立つ人は、観光客が数人。
自分たちと同じように、すぐに折り返しの電車に乗りました。
津軽中里駅は終着駅なので、電車の車止めが
あるはずなのですが、雪で見えない?のか、残念。
そういえば、数年前に行った津軽の三厩駅。
車で行きましたが、ここも終着駅です。
そしてしばらく前に、下北の終着駅 大湊にも行ってました。
これはよくわかる大湊の車止め。
終着駅といえば、八代亜紀さんの「愛の終着駅」だ。
♪♪寒い夜汽車で膝(ひざ)をたてながら
書いたあなたのこの手紙文字のみだれは
線路の軋(きし)み
愛の迷いじゃないですか
読めばそのさき 気になるの
君のしあわせ 考えてみたい
あなた何故なの おしえてよ
白い便箋 折り目のなかは
海の匂いが するだけで
いまのわたしを 泣かせるの・・
何とも風情があって、このごろお気に入りです。
YouTubeで「愛の終着駅」で探すと、見れます。
ストーブ列車 [駅]
金土で出かけた津軽への旅行。
目的は、津軽鉄道のストーブ列車。
レトロな津軽五所川原駅に入ると、時刻表も昔風。
ストーブ列車に乗ると、座席は昔の国鉄の車両です。
木枠の窓を開けるのは、クリップのようにつまんで上げる。
取り去られた灰皿に、木製のひじ掛け、使われてないスチーム暖房。
網棚も昔と同じで、レトロ感満載です。
お姉さんがスルメを焼いてくれます。
スルメにはやっぱり日本酒だ!
車掌さんがきて、ストーブに石炭を追加投入。
最後にお姉さんたちと記念写真におさまりました。
団体客もいなくて、お姉さんたちを独占できた、まさに貸切状態でした。
スルメと日本酒、それと石炭を燃やした蒸気機関車のニオイを満喫。
津軽は素晴らしい。
行った甲斐がありました。