祝 相馬高校勝利! [相馬]
今日の午後、インターネットを眺めていたら
高校野球バーチャル中継というのがありました。
その福島大会を見たら、相馬高校ー尚志高校の4回戦の中継が
始まったところでした。
何と1回表に、相馬高校が一挙4点、そして2回3回も得点し
結果は7-2で相馬高校の勝利。
最初から最後まで見てしまいました。
テレビ中継してなくてもインターネット中継で、
ほぼ生中継のように見れるなんて、便利な世の中です。
アナウンサーによると相馬高校が準々決勝にいくのは
29年ぶりと、言っていました。
29年ぶりと言えば、たぶん巨人で活躍した鈴木尚広が在籍してた時以来だ。
母校の校歌、懐かしく聞きました。
この、歴史を感じさせる歌詞。
最近できた学校の薄っぺらい校歌の歌詞には負けません。
だいたい、克己とか進取なんてわからないだろうし、
馬陵の城たってわからないよね。
”名に負へる” だし。
校歌を歌う時は、海老ぞってなくて良かった。
次の準々決勝になれば、県内の強豪校にあたりますが、
また頑張って欲しい!
今日は明るいニュースで良かった!
あっ、わが母校! [相馬]
さっきNHKを見ていたら、聖火リレー関連のテレビで
わが母校、名門!相馬高校が出ていました。
この場所は、相馬高校の由緒正しき講堂です。
その昔作られた講堂は古くなって建替えられましたが、
直線美のある建築様式の講堂は後世に残す文化財に値するかも。
自分も建替え前の古い講堂で、入学式や卒業式をしました。
このテレビでやってた、相馬太鼓なんてのは昔はありませんでした。
今朝のJビレッジでのセレモニーでは、まるで相馬野馬追の出陣式そっくり。
赤い幌を背負った総大将に見立てた誰かに、武士の口上。
相馬中村神社で行われる、野馬追の出陣式の完全なパクリです。
それにしても、”相馬”ブランドのただ乗りが多い、こと。
南相馬市って名前だってそうだし、相馬大堀焼と名乗っているのも
もともとは大堀焼でした。
相馬生まれの人間にとっては、やっぱり納得がいかない、なあ。
昭和48年に旅する-2 [相馬]
古い時刻表には、いろいろなものが載っています。
広告のページには、鉄道弘済会の名産品案内。
めくっていくと、常磐・東北のページ。
相馬あられ、があります。
そういえば、昔のテレビCMが懐かしい。
馬を曳いた髭の農夫が、馬にむかって
「鳴ぐなっ、ふたっつ、みっつ、やっか?」という。
その画像をググってみたが、見つからない。残念!
人見明さんが演じてたらしい。
相馬あられの会社は今でもあるようだが、移転したのか?
よくわからない。
相馬に”帰郷” [相馬]
浅田次郎さんの「帰郷」という小説を読んだと
書きましたが、実は数日前に相馬に帰郷しました。
帰り際に、大洲海岸に行くと新しいコンクリートの
防波堤はできているが、海は震災前のよう。
こちらは磯部方向です。
そしてこちらは、鵜ノ尾埼灯台方向。
ずっと前は、砂利道というか砂道で、
かさかさとカニが這い出てくるような
松林に囲まれている、のどかな場所でした。
そして、橋を渡り松川漁港に出ると、漁船を見ている親子連れ。
震災前、ここには魚の直売所がありました。
故郷は変わったようで、変わってないような・・。
相馬よいとこ [相馬]
昨日今日と、相馬松川浦のホテルに宿泊して小学校の同級会。
今回は松川浦の入口にある某ホテルで開催。
飲み疲れて、今朝目覚めたら
松川浦の向こうには太平洋が見えました。絶景!
橋も通れるようになって復興もだいぶ進んできたようだ。
今日は疲れたのでこれでおしまい。
相馬の山形屋 [相馬]
今朝の新聞、一面広告。
福島県xHidetoshi Nakata となっていますが
福島県が出したのだろうか?
「また来ちゃいました、ふくしま」
中田英寿 福島を旅する #2
https://www.asahi.com/and_travel/articles/SDI2018062110711.html
この山形屋、相馬に行った時にいつも買ってくる
「だししょうゆ」がおいしい。
ちょっと高いが、スーパーで売っている
大量生産している醤油とは違います。
店は町のメインの通りからちょっと入ったところにあります。
広くない道路に面して、地味な店構えです。
これは3年くらい前に行った時の写真です。
その時には、おばあさんが応対してくれました。
この写真の主人のお母さんだろうか。
また行って買いたいなあ。
ああ相馬駅! [相馬]
今朝、通勤で乗り換えのため通った上野駅の3・4番線ホームに
つながる階段には、何と相馬駅のポスターがありました。
いつからあったのかは不明です。
今週の月火は出張のため、この階段を使わなかったから気付かなかったのか・・?
「あたらしい物語を、つないでいくんだ」のコメントと一人の女性。
それに「行くぜ、東北」のJR東日本の最近のメッセージ。
それにしても、シンプル過ぎるような気もするが、
故郷の駅が出るというのはいいものだ。
タイトルも、「ああ上野駅」ならぬ「ああ相馬駅」にしてみました。
相馬野馬追観戦記ー3 [相馬]
相馬野馬追2日目は、場所を南相馬市に移して、まずは街中の行列。
行列の最初は中ノ郷(太田神社)の先頭御先乗から。
手に持っている旗は、相馬の九曜紋。
行列の先頭なのに、道路上には既に馬の糞があります。
その臭いも祭りの一部なのです。
この写真をよく見ると、マンホールにはテープで目張りしています。
糞尿がマンホール内に入るのを防ぐためでしょう。
法螺貝も吹かれます。
そして、馬上での口上。
「XX侍大将殿、それがしは宇田郷の組頭のXXと申すが、
軍者XXX殿の伝令を持ってまいった」
・・・
「大義であった、軍者殿によう伝えよ」、などと大声を張り上げる。
後ろの方からは、総大将。
そして今年の出場最年少、2歳の騎馬姿も。
昼からは、雲雀が原に移動し、甲冑競馬。
昔は足の太い農耕馬がどっかどっかと走っていたが、
最近はみんなスリムなサラブレッド。
競馬をお役御免になった馬が駆り出されているようで、
その走りは競馬で走っていた時と同じで、速いし格好もいい。
最後は祭りのメインである神旗争奪戦。
花火で打ち上げられた御神旗を、持っている鞭でからめとる。
この原っぱには400頭前後の馬がいて、それらが御神旗めがけて競う。
運良く神旗をとれた人馬は、このように坂を登っていく。
羊腸の坂というらしいが、昔は七曲りの坂といっていたような気がします。
この中央に見える柵のところが曲がった坂で、その勾配は結構きつい。
馬によっては、ヨタヨタとなりながらも、周りから喝采を浴びて
勝ち名乗りをあげ、総大将である殿が待つ本陣へ。
3日目の翌27日は小高神社で、馬を追い込む神事、野馬懸が行われる。
野馬懸までは見れませんでした。
ということで、千有余年の歴史をもつ相馬野馬追を堪能することができました。
相馬野馬追観戦記ー2 [相馬]
前回に引き続き、7月25日の相馬野馬追出陣式の模様です。
相馬中村神社での出陣式も終わりに近づき、法螺貝を吹き、
皆で祝杯をあげ、いざ
「殿、出陣でござるぞ!」と言ったかどうかはわからないが。
中央が、現相馬家33代当主の長男、相馬行胤氏。
乾杯のどさくさに紛れて、殿の御前まで参上して撮影!
そして行列は、勇壮に中村神社の鳥居を出る。
行列の途中、こんな姿の女性がわざわざ馬を返して、
振り返り、私の目の前でポーズを決めてくれました。
この人は後で聞いたら、中村神社の禰宜の田代麻紗美さんという方で、
秋篠宮妃 紀子様の弟と結婚されていたとこのと。
離婚したことで、週刊新潮にコトの顛末が載ったらしい・・。
別れなければ、その子供は、将来天皇になるかもしれない悠仁様の
従妹にあたるのです。
彼女の父親がこの相馬中村神社の宮司です。
行列の順序は遡るが、これは総大将である相馬行胤氏。
世が世なれば、いわゆる殿なのである。
相馬野馬追観戦記ー1 [相馬]
昨日と今日は、相馬野馬追の観戦。
野馬追は、見るとか、観るではなく、観戦なのです。
なぜかと言えば、出場している騎馬武者には武士(もののふ)の
霊が憑いているようで、まさに昔の荒くれ侍が現世に出現した、という感じなのです。
出陣式や騎馬行列での馬上での口上を聞くにつけ、その思いがふつふつと湧き始めます。
そして、甲冑競馬や神旗争奪線での旗の奪い合いを見ると、それは確信へと変わってきます。
こういう気持ちは、”観戦”してみないと絶対わかりません・・。
まだ行ったことがない方は、是非来年行かれるといい。
路上に落とされた馬の糞の臭いも、昔を演出してくれます。
今日は遅くなったので、昨日の中村神社での出陣式の一コマを載せておきます。