1988年に旅する [電車]
図書館に行って眺めていたら、1988年の時刻表 完全復刻版
というのを見つけ、借りてきました。
1988年と言えば、青函連絡船がなくなり青函トンネルが
できた年であると表紙に書いてあります。
もう34年も経ちますね。
時刻表を見てみると、
懐かしのL特急
夜行特急や急行には懐かしい名前がいっぱい。
愛称がついた特急は、今の新幹線より風情がありました。
シュプール号やら、夜行スキー列車が全盛だった頃かもしれません。
この頃、東海道新幹線に、”のぞみ号”はありませんでした。
別なところには、オレンジカードのページも。
オレンジカード、もう持ってないけど、これも使ったなあ。
この頃には、自動改札になっていたんだろう。
ああ、懐かしい!
新幹線保守車両 発見 [電車]
先日、大宮駅で新幹線に乗ろうとホームで待っていたら、珍しいモノ発見。
有名なドクターイエローではなく、地味な保守用の車両です。
在来線には、そこ用の保守用の車両がありますが、新幹線のは珍しい?
そして、スマホのニュースか何かみていたら、
京都駅のバックヤードツアーなるものがあり、
駅の裏側を見せてくれると、ありました。
そんなのを見ていたら、何年か前に仕事で京都駅近くの近鉄かどこかの
ホテルに泊まった時に、窓から新幹線の線路を写したことを想い出しました。
2017年6月の写真で、その年の7月のブログにも書きましたが、
これは軌道確認車なるもので、
明るくなると、線路脇の指定席に横移動していました。
これの2,3時間くらい前だったか、この車両が仕事をしている時は
この車両の場所は空席となっていました。
我々の知らないところで働いている車両・・、なくてはなりません。
大宮駅では、この車両がよく見られるのかわかりませんが、
待っていたら、乗る新幹線が滑り込んできました。
東武鉄道と車止め [電車]
昨日は、昼飲み会があり東武線に乗りました。
現在は東武アーバンパークラインと呼んでいますが、
まだ東武野田線の方がしっくりきます。
JR線の乗り換え案内で、「アーバン」の英語発音がやけに気になる線路です。
大宮駅で東武線に乗り換え。
東武線のホーム立つと、電車の車止めがあります。
これは京浜東北線の車止めでした。
反対側には、京浜東北線の電車と、東武線の車止めも見えます。
電車の車止めは、結構あるものです。
大宮駅から船橋行急行に乗ってひと眠りすると、柏駅に着きます。
あれ、柏駅で止まると、進行方向表示板が反対になるのです。
最初からこのようなスイッチバック構造で設計されたのか、
どちらかが後付けされたのかはわかりません。
写真はありませんが、当然柏駅にも車止めがあります。
電車は、スイッチバックのように来た方向に戻っていきますが、
途中で分岐し、船橋方向に向かっていきます。
そして、船橋市内で行われる友人たちとの昼飲み会宅に到着したのでした。
集まった同級生たちと、50年くらい前の学生時代を振り返って
歓談しながらの大宴会、おいしく食べて飲んで、楽しい一日でした。
変わらぬ時刻表 [電車]
雨模様の土曜の午後、居眠りをしてしまいました。
寝ぼけ眼で1973年の時刻表を眺めていたら、
高崎線の始発電車は、ほぼ50年変わってないことに気付きました。
最寄り駅の上尾駅5:41発と、大宮着5:49、上野着6:16は全く同じです。
こちらは1973年の国鉄時刻表。クリックすると拡大します。
そして、昨年2021年のJR時刻表。
現在は、上野東京ラインとなって小田原行きになりましたが
時刻はほとんど変わってないということです。
籠原駅の発車時刻が少し早くなったり、いくつか新駅ができたり
浦和駅に停まるようになったりの変化はありますが。
1973年当時、自分は上尾にはいませんでしたが、
50年近く時刻は変わってないのです。
そして先日、大宮から高崎線に乗ったら、どうやら通勤快速がなくなり
快速電車となって全て上尾駅に停車することもわかりました。
これで、酔っぱらっても熊谷まで”強制送還”されることはなくなりました。
万世橋から [電車]
秋葉原駅近くにある万世橋に立つと、いろいろな電車が見えます。
中央通りを東京に向かってみると、中央線。
少し右に振って、御茶ノ水方向をみると、ずっと向こうに総武線。
左には旧万世橋駅の遺構。
さらに右に90度くらい、中央通りの上野方向。
総武線の高架が見えます。
そしてさらに90度、神田川の東京湾側を見ると
いろいろな電車を見ることができます。
京浜東北線
山手線
上野東京ライン
新幹線は地下から出たくらいだったか?見えないのかも。
神田駅近くに行けば見えます。
こんな電車が・・ [電車]
少し前に、武蔵小杉駅のホームで湘南新宿ラインの電車を
待っていたら、見かけない電車が入ってきました。
見ると、相鉄線の電車だ。
そういえば、相鉄線もJR乗り入れした、っていってました。
横浜から新川崎を通り埼京線か。
後で考えたら、電車好きの自分としては
珍しい電車なので大宮まで乗っておけばよかった、なと。
それにしてもコロナの影響で、まだ人出は少ない。
これは、先週の秋葉原の万世橋近くの交差点の昼時。
秋葉原の町から中国人は消えましたが、
通りかかったバスの2階には、人がパラパラ。
若干は観光客が戻ってきたということか。
三鉄リアス線 つづき2 [電車]
宮古に1泊し、翌朝浜辺から宮古湾を一望。
そして浄土ヶ浜に移動して、船で青の洞窟探検に。
これは別な人が乗った一番小さなサッパ船。
自分たちが乗ったのは、6人くらい乗れるサッパ船。
サッパ船というのは、三陸の漁師がアワビやウニをとる
ために使う小さな船のことだそうです。
海は海藻が見えるほどきれい。
船に乗ると、海猫がえびせんをもらいにやってきます。
海から見た浄土ヶ浜です。
そして、青の洞窟を探検。
海の色は青か緑色。
海の色は季節や天気によっていろが変わるそうです。
学生時代に行って以来、40数年ぶりの三陸でした。
時間がなくて、季節ものの生ウニを食べられなかったのが
唯一心残り・・。 おしまい
三鉄リアス線 つづき1 [電車]
リアス線の車内からは、海岸がよく見えます。
北山崎に行くために、田野畑駅で途中下車。
駅舎はカンパネルラ田野畑駅といって、銀河鉄道にちなんでつけたと。
しゃれた駅には、駅業務、売店、喫茶・軽食の店の3つありますが
それを一人の女性が掛け持ちで担当。
乗り合いタクシーがくるまで、喫茶店でくつろぎました。
いざ、北山崎に着いてみると、霧かもやで視界10mくらい。
雄大な景色は望めず。
ということで、パンフレットの絶景でも。
つづく
三鉄リアス線に乗る [電車]
急に思い立って、金土で「三鉄リアス線」に乗ってきました。
八戸から八戸線に乗り、陸奥湊駅で途中下車。
駅前には奇妙なキャラクタ、イサバのカッチャ。
すぐ前にある市場で、焼きウニとつまみを購入。
再び八戸線に乗ると、人がいっぱい。
それも大人の休日倶楽部のジジババばかり。
自分たちは若者の部類でした。
久慈の街に着くと、最近少し忘れかけられている「あまちゃん」。
三鉄、久慈駅にも。
久慈のキャラクタかどうか知りませんが、うにすけ。
三鉄久慈駅のホームではお姉さんが旗を振ってくれました。
我々も手を振りましたが、三鉄に乗っていると
自宅の窓や道路から手を振ってくれる方もいて、
地元にとって鉄道は必要なものだな、と思いました。 つづく
津軽鉄道 [電車]
先週行った津軽の旅。
「電車」というカテゴリーにしましたが、
津軽鉄道は電化されてないので、ジーゼル機関車です。
この先頭の車両は、ジーゼル車でストーブはありません。
2両目がストーブ列車ですが、こんなにガラガラ。
外には廃車になったであろう車両がさびしさを倍増させます。
JR五能線は電化されています。
奥羽線も電車で、車両の横にはなまはげ。
リゾートしらかみは比較的新しい車両です。
これは青森駅から乗った、特急つがる。
つがるといえば、昔の急行津軽。
夜行列車で、急行十和田や八甲田というのもありましたね。
これらの夜行列車はとうになくなってしまいましたが、
お岩木山は、今も変わらずに津軽平野の冬景色におさまっています。