築84年の家の梁 [相馬]
先日用事ができて、行った実家。
実家は昭和5年の建築。
築84年ということになります。
これは縁側の窓の上にある梁。
幅30~40cmくらいあり、長さは六間くらいあります。
写真では、真ん中でつないでいるように見えるが、
三間の長さの梁なのか、六間の長さの梁なのか、
よくわからない。
玄関の間の上の梁はこれ。
この梁も幅は40cmくらいあります。
2011年の震災にも耐えました。
昔の家は長持ちします。
崖の上にも3年 [相馬]
先週はお盆で、お墓参りに行ってきました。
そのついでに、海の様子を見に海岸へ。
津波による震災後、浜辺の景色もすっかり変わってしまいました。
その昔海水浴した砂浜はなくなり、波消しのブロックばかりが目立ちます。
写真を撮っていると、崖の上に家が見えます。
ここは2年前にも撮ってました。
「津波をまぬがれれた家」というタイトルで2年前にもブログに書きました。
その時の写真がこれ。
そして今から3年前の写真もありました。
壁は大谷石のようで、まるで蔵造り風。
それが現在はサンルームのようなガラス張りです。
きっと、眺めがいいのでしょう。
今年の写真の撮ったままのを拡大して見ると、部屋の中に人が見えます。
年ごとに崖の岩が波によって浸食されているような気がします。
そして今年の写真に写った家は心なしか家が傾いているような・・。
単にカメラが傾いていただけデス。
話は変わりますが、今朝プランターのイチゴに花が咲いているのを見つけました。
ランナーがいっぱい出て子孫を増やそうとしてるこの時期に
花は咲くものなのでしょうか?
相馬の町 [相馬]
昨日はホテルに入る前に時間があったので、相馬の町をぶらーり。
だいぶ寂れた町の中に、閉店したパチンコやさん。
今は郊外にできた巨大なパチンコやさんに車で行くので、
昔は賑わっていた町なかのパチンコやさんは閉店です。
そして肥料のお店の隣には年代ものの門。
昔は商店にもこんな立派な門があったんですね。
見た感じ、大正時代とか昭和初期に作られたのだろうか。
ふと下を向くと、やっぱりそこにはマンホール。
この中心にある、ひらがなの”そ”に似ているのは
相馬市のマークです。
花は、バラと桔梗?と桜?と、あと一つは何だろう?
還暦同級会 [相馬]
昨日3日は、生まれ故郷で還暦を祝っての同級会に行ってきました。
その名も、「日立木小学校卒業還暦同級会」
私もあと一ヶ月ちょっとで還暦を迎えますが、時が経つのは早いものです。
向かった会場のすぐそばの松川浦。
島の向こうに見える大洲の浜も震災の津波により破断し、
外海と松川裏がここでもつながってしまいました。
今は復元工事をしているのでしょうか?
同級会は、「あー、XXちゃん」、「そうだ、XXくん」という小学校時代の
呼び方のまま、近況報告やら、昔話やら・・、楽しいひと時を過ごすことができました。
還暦では赤ちゃんに戻るといいますが、
昨日は50年近く前の子供時代に還ったようでした。
この同窓会においでいただいた恩師、S先生とM先生。
お二人ともお元気でいらして、50年近くも前の教え子のことを
よく覚えていらっしゃったのには驚きました。
特にS先生からは、60歳の定年で辞められてからいろいろなことに
挑戦したというお話を聞きました。
なかでも、スキーを始めて、スキーがこんなに面白いものとは知らなかった、とか
植木の剪定をやり、こちらもウデが上がり、人に頼まれるまでになったそうです。
そしてパソコンもやりはじめ、今でもブログを書いているとのことでした。
いやいや感服致しました。
人間いくつになっても挑戦していかないといけない、と肝に銘じ、
忘れられない同級会となりました。
最後に、阿武隈山地の紅葉。
松川浦へ注ぐ梅川 [相馬]
先週は久しぶりに相馬に行き、
松川浦の近くの柏崎あたりを通りかかりました。
そういえば昔、このあたりの川を父の漕ぐ小船に乗って
松川浦まで出て、釣りやあさり獲りをしたことを思い出しました。
その時の様子を書こうと思い、24色のクレパスならぬ色鉛筆を買ってきて
昨日一所懸命!書いたのがこれ。
書いてはみたが、昔はもっとうっそうと葦やら笹が川のまわりに生い茂って
いたような気がします。遠くに見える松川浦や中にある中州、
そして海との境の大洲海岸もこのようには見えない。
それらもカニも、入道雲などすべてデフォルメ調です。
書いててちょっと間違ったことがあります。
この絵は松川浦に出て行くところなので、川にはもう少し水があるはずなのです。
満潮から干潮になる時を見計らって(引き潮なので、漕ぐのが楽)船を漕いでいくのです。
逆に帰りは、満ちてくる潮の流れにのって帰ってくるのです。
先週行った時に写した梅川の写真。
ずいずん前に護岸工事などをしたのでしょう。
川の両岸に生えている葦以外に、昔の面影はありません。
大洲海岸も震災の津波にやられ、松川浦と外海がつながったのですが、
まだ立ち入り禁止で見れませんでした。
もう修復されたのでしょうか・・。
相馬野馬追です [相馬]
今朝、大宮駅のコンコースにあるJRの「びゅう」の脇を通ると、
相馬野馬追の旅行のチラシがありました。
行かないけど、思わずいただいてきました。
このツアーは、新幹線で福島駅まで行き、その後は貸切バスのようです。
新幹線、バス、入場券、弁当付きで¥15,000円台.というのはオトクです。
2~3年前から週末開催になったようで、今年のこのツアーは28日の日曜日。
南相馬市(旧 原町市)での催しです。
野馬追を最後に見たのは20年近く前だったかなあ、
娘が小さかったころでした。
今年はともかく、来年にでも久しぶりに行ってみるか・・。
津波をまぬがれた家 [相馬]
ホントに海辺に建っているのに、昨年の津波の被害をうけなかった家。
この家は福島県相馬市の磯部という集落の中でも一番海寄りにあります。
この写真を撮るのに私が立っていた後ろ側にあった集落は、すべて津波に
流されてしまってますが、この家だけは何ともなかったみたい。
ご覧の通り、海面から10m以上高いところにあります。
ここの海は私のブログの写真にも使っている場所なのです。
下の写真は、先ほどの高台に家が見えるところのすぐ左側です。
この写真には、昨年の3.11を忘れたかのようにサーファーが写っています。
こんなふうに、地震も津波も原発も忘れられていくのだろうか。
たった1年ちょっとで、災害が風化してしまう現代がこわい。
相馬が伊達に占領された! [相馬]
昨日、相馬駅に行ってみると、
相馬が伊達に占領されていました。
最近、占領とか領有とかという言葉が巷でははやっている
ようですが、これは相馬家にとって一大事!
これが占領された証拠写真。
相馬駅前が、「竹に雀」と伊達政宗の絵があるバスで占領されていました。
うむー、してやられた!
野馬追なぞにうつつをぬかしていたら、伊達から背後をつかれて
占領されちまった、のか、と思いました。
その昔、相馬と伊達はよく小競り合いをしていた、という話です。
相馬6万石の小藩に対し、伊達は大大名でした。
伊達に屈しなかったといえば聞こえはいいかもしれませんが、
伊達にしてみれば、相馬なんて小さなところは相手にしなかったのかもしれません。
実は昨日は、相馬駅の写真を撮ろうと思って駅前に行ったのですが、
駅前にはドーンとバスが停まっていて写真が撮れない!
うーん、またしても伊達に邪魔をされた、と思ったのです。
このバスは、常磐線の相馬ー亘理間が津波被害で不通になっているために
その間を往復しているバスなのです。
本来はJRが運行しているのでしょうが、バスが足りないからかなあ?
仙台バスという会社が代行しているようです。
バスの胴体に書いてある絵から、私はすっかり伊達に占領されて
しまったのか、と思ってしまいました。
昔は戦をしていた両藩ですが、今では仲良く復興に向かって
協力しているようで、たのもしい。
これが、バスが出て行った後の相馬駅です。