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道三は二人いた? [お暇な方は・・]

今週月曜日の朝日新聞にあった、「文化の扉」という紙面、

道三.JPG

斎藤道三が二人いたという話ではなく、現在通説になっている
道三の一生の出来事が、道三の父と道三のものを一緒にして
しまったのではないか、ということです。

有名な「信長公記」が道三一人の話としているのと、
これもまた有名な司馬遼太郎さんの「国盗り物語」にも
道三一人のことと書いてあるので、一人説が定着して
しまったのではないか、というのです。


その真偽はともかく、この時代の話は面白い。
道三についていえば、美濃の蝮とか梟雄と呼ばれたり、油売りから身をおこした逸話、
土岐家の乗っ取り、娘の濃姫に短刀を渡して「何かあったら婿の信長を
刺せ」という話、「自分の子はいずれ信長の門前に馬を繋ぐことになるだろう」
という話など、逸話がたくさんあります。

道三に限らず、秀吉とか松永久秀もそうであるが、出自についても胡散臭い。

まあこの時代、まず書かれてないことの方が多いだろう。
そして、当時の記録は、筆で書き写すのが、唯一増刷する方法であり、
後世に書として残す方法だったので、出来事などの記録を書き違える可能性もあります。
また、成り上がった本人が作り話をでっち上げたり、後世の人が
ある意図をもって尾ひれはひれをつけて喧伝したことも考えられるので
この時代の「史実」の信憑性は低いと考えられるのです。

ちょうど今、同じく梟雄と称される松永久秀の本を読んでいるのですが、
久秀が小さい頃、油売りをしている道三に出会った場面が出てきます。
久秀が道三とワルつながりということで、作者が無理やり出会いの場を作ったのかもしれない。

また今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも出ている宇喜田直家と、
斎藤道三、松永久秀を合わせて三大梟雄と呼ぶらしいのです。
軍師官兵衛に出てくる宇喜田直家は、確かに女を侍らして酒池肉林の世界に浸り、
謀略しか考えてない様子。

しかしこれらの悪い評判も後世に作られた可能性の方が高い。
ドラマにいたっては、脚本家によって適当に脚色されています。
もしかしたら、道三も久秀も直家も本当はいい人だったのかもしれない。
ただ、「いい人である」ことを証明する史実もないので、作り話で構わないので、
誰か「異聞 本当はいい人だった! 斎藤道三」とかいうタイトルの本でも
書いてくれれば面白い。


2014-06-07 16:43  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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